先週村沢さんが「馬の能力を数値化するのは物理的に変」という持論を出してきたけど、それに対する数字使いとしての私の反論は、「抽象的な表現より、具体的数字を出したほうが理解されやすい」ってのがあるね。私としては画期的なアイデアを打ち出すのと同じぐらい、それを理解してもらうことは重要だと思うわけ。
そんでもって理解してもらうためにはどうすればいいか、それを考えた結果が「数値化できてないものも、どうにかして数値化してみよう」というものだったの。「すごく強い」と言うより「他の馬が60〜70であるのに対して、この馬は100」ってほうが、どれぐらい「すごく強い」のか分かりやすいでしょ?
数値によっておおまかな馬の能力(走力)が推測できるのなら、役割としてはそれで十分だと思う。それが絶対的なものでないという点においては、状態や運不運についても同じことだろうし。「状態や運不運」が絶対に言い当てられるというなら話は別だけどね。
まぁ表現方法の問題ね。時の流れに数字を当てはめるようになった時から、好もうが好まざろうがこの世は数字に支配されてるんですよ。これを物理的に変だと言うならば、人間の能力を測る「学校のテスト」なる存在が一番変ですね。まぁ一般的なテストで測れるのはせいぜい「記憶力と要領の良さ」ぐらいだと思うけど(笑)
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