走る馬の背中は違うと言われる。これは馬に跨った騎手が真っ先に感じる、いわば馬とのファーストインプレッションだ。ゼンノロブロイに騎乗するぺりエの走行姿勢は、まるで人間が馬の背中の一部分に吸収されているかのごとく見える。(動かない)接近する気配すら感じさせない、呼吸をしない生身の黒い潜水艦のようだ。デザーモ騎乗とて結果は同じ、その印象に変化はなかった。
最内を進むロブロイにその一瞬は突如訪れた。加速し、満を持して直線を向こうとしたその時、その先に取るべき進路は既になかった。前を走るコスモバルク、タップダンスシチーと縦に動きが重なってしまった。コンマ何秒を要したか?・・・名手デザーモの躊躇。進路を外へと転換させ、再加速した時には既に勝ち馬の影はロブロイを完全に捕らえていた。それは暑さに強い夏型の坂路調教馬の影であった。
凄まじい勢いの前にロブロイは完全に屈した。さらに後ろからも差し込まれた。敗因は”展開”という勝負のアヤだけではない。名トレーナーが自信を持って送り出したプライドさえも覆す「調整不十分」という事ではなかったのか?異変は既にパドックから始まっていた。気合ではなく必要以上の「気負い」を感じさせた。あれほどに静の姿勢を貫いていたあのロブロイが?・・・。
ロブロイにとって、タップダンスシチーに勝つことは、必ずしもレースでの勝利では無かったはずだ。そこがレースでのマークと、取るべき判断の難しさなのであろう。つまり、ロブロイ、タップ双方が共にお互いを意識するあまり、お互いが自ら動かざるおえなかったのだ。そこに完調にないロブロイのデキと、コスモバルクとの力みの併走を呼び込んだタップという負けの構図が待ち受けていた。
不運は重なるものだ。レース展開というものの中には常に不運は見え隠れしている。今回の宝塚記念のキーワードは誰もが「展開」というものを意識していたはずである。俗に言う「展開」という言葉の中にはさまざまな不確定要素が潜んでいる。展開は必ず何かしらの不運を呼び込み勝者と敗者とを分けてしまうものだ。その結果に驚かされる様なレースでは必ずといっていいほどに「展開」は絡んでいる。予想者にとって展開を読む事は極端に難しい事だが、予想者の馬券での勝敗を分けているのも実は、ある程度展開を読めるかどうかのセンスではなかろうか?
最後に個人的主観で言わせてもらうと、ゼンノロブロイの強さは計り知れないものがあると確信している。。そもそもタップダンスシチーと比較する次元の馬ではない。このリベンジは8月のイギリスで。そして日本で待ち受けるデイープインパクトとの直接対決が今から待ち遠しい。
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